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【南森町雑記】本を買います

月に少なくとも二万円以上の本を買っています。電子書籍を未だに導入していないので、買った本は全て家のスペースを奪っていきます。どうしようもなくなったら売れば良いかとたびたび思って、たびたび売っていると、結果的に売るために本を買っている自分に気付きました。

読んで気に入った本は残しますし、読んでいない本は今のところ売っていません。そもそも私は読むためだけに本を買っているのでしょうか。いいえ。私はしばしば、本という物理メディアを取得するためにお金を払っています。

本を読んでいる時にそれほど楽しくないことがあって、それでもどんな本でも、どれを買おうか悩んでいる時からドンドン楽しくなって、お金を払った瞬間が頂上ってくらい楽しい気持ちになります。時には、買った本を読むという行為が、本を選んで買った行為の答え合わせになっていることがあります。

本には物理的メディアとしての価値から、非物理的な情報としての価値まで、使う人に応じて様々な利用方法があります。とは言え、例えば風来のシレンのプレイヤー全てがタイムアタックに勤しまないように、誰もが装丁の価値を理解して、フォントのいけてる感じを汲み取って、しかも本文まで楽しみ尽くす必要はありません。

これからは意識的にイージーな感じで本を楽しみます。スノッブな本の楽しみ方も好きだけど、本を大事にしすぎて自縄自縛に陥っている気がしてなりません。

 

これからも継続して本を買うために住居とは別に本の保管スペースを借りようと考えています。具体的にはトマス・アクィナスの『神学大全』全45巻を買いたいのですが、明らかに住居に置ける分量ではありません。所有欲を満たすために本を買っているのに、図書館に寄贈するなどは論外ですし、やはり大きい住居に移るか貸倉庫を借りるかのどちらかになります。

家の中で本が飽和していると、自分の死を意識するようになりました。死後に大枚を叩いて買ったこれら大量の本が二束三文で売られたり、未来に存在するかも怪しい古紙回収に持っていかれたりするのは忍びない。しかし、死んだ後のことを考えるのは非常に愚かなので、手持ちの本は死後を見据えなくてよい程度の分量に抑えます。抑えたい。