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【南森町雑記】美味しく料理するという地獄

私は外食が大好きです。食べること全般が好きですが、自分で料理をすることはそれほど好きではありません。そのせいか、家庭料理という概念に含まれている「安くて美味しいものを作る」イデオロギーを間遠いものとして日々を暮らし、土曜日の午前に再放送されていた『美味しんぼ』の「美味しいものは手間がかかっていて当然のように高価である」イデオロギーを吸収してむくむくと育ってきました。

 

30歳を過ぎて、私という人間が今こうあるのは生育環境や遺伝的要因の結果だと強く思うようになりました。企業の正社員として短くない期間を賃金と引き換えに働いてきた私が、その賃金を費やしてきた先が「食事」とりわけ「外食」です。食事は消え物、長い目で見れば無駄です。無駄だから楽しいとも言えます。『美味しんぼ』に影響されたので、食事に血道を上げる人間の虚しさは分かっているつもりです。でも美味しいものは麻薬みたいなものなので食べたい。でもお金はない。ではどうして料理をしないのか。高島屋の数千円で買っているローストビーフは自分で作れば二千円もしません。

 

外食となると軽やかに、喜び勇んで未知のものを食べたいのですが、普段食べている家の料理は外食ほど気軽に楽しめません。お金で食事とその空間を買う外食と比べて、食事前の配膳から皿洗いに至る種々多様な気遣いが必要とされるなど、家の料理は手離れが悪いというのはあくまで小さな理由の一つで、最も重要な理由は、私の母親の料理が決して美味しくなかったことです。

 

リベラルに(リベラル概念を理解していないなりに)振る舞おうとしていた父親が最も苦手な家事が料理でした。それなりに貧乏な家でしたので頻繁に外食というわけにはいかず、必然的に家での食事の大半は母親が用意することになります。振り返ると、母親は家事全般が得意ではなかったし、得意になろうともしていませんでした。そもそも平日はフルタイム労働に従事していたので、夫婦間の家事バランスが偏ってたのですが、保守的な女性像を信奉していたと思われる私の母親は、その不満を表立って私の父親にぶつけたことはないと思われます。少なくとも私が両親と生活していた期間にその不公平が是正されることはありませんでした。私が覚えている限りの母親の最も楽しそうな姿は、休日の昼間に仕事仲間と数時間に及ぶ電話をしている姿です。

私が小学生だった頃は一瞬だけ家がプチ小金持ちになって、暇さえあれば外食していました。思えばあの頃は幸せでした。こと料理にまつわる不幸のきっかけは、経済的に家が没落したせいです。

 

片栗粉を使った料理が苦手です。特に、ニョッキと鶏肉に片栗粉をまとわせたものが苦手です。そのきっかけは忘れもしません。ニョッキあるいは鶏肉の炒め物として出された料理にぶよぶよの塊がついていたのです。その当時の私は知りませんでしたが、片栗粉は高温の状態で投入すると急速に固まってしまうのです。なんとか食べようとしたものの、一口だって味のしないぶよぶよを食べることは出来ませんでした。もう一つ覚えているのが、母親が毎日炊いていた米の硬さが全く安定しなかったことです。今や実家を出て、補助程度には料理をするようになって分かったことは、水の量にだけある程度気を付けてさえいれば、米の硬さは一定するということです。この気付きから、私の母親は毎食の米の硬さに拘泥するような嗜好を持っていなかったことが分かります。

米の硬さ程度に拘る私と、米の硬さ程度には拘らなかった母親。一緒に暮らしている時は嫌で嫌で仕方がなかった嗜好の違いですが、離れて暮らせばなんということはありません。私は美味しい米を食べる地獄に住んでいるというだけです。