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【南森町雑記】方言を捨てるという希望

「おんどれらも吐いた唾、呑まんとけよ」(『仁義なき戦い 頂上作戦』)

方言には勢いがあります。魔術的な響きを持っていると言っても良いでしょう。

『極道の妻たち』に、岩下志麻が「あほんだら、撃てるもんなら、撃ってみぃ」と凄む場面があります。これが標準語だったらどうでしょうか。さらに言うと、標準語で丁寧口調だったら決め台詞として精彩を欠いたものになったことでしょう。標準語はフラットでどこか寄る辺のない言葉なのです。

 

私は普段生活する中で、いわゆる標準語を聞いて暮らしていると思い込んでいます。ところが少し考えてみると、さにあらず。話す側に立って考えると、私は話す相手や状況に応じて微妙に違う言葉をグラデーションのように使い分けています。嫌いな人間に対して仕方なく会話をしないといけない場合のよそよそしく標準語で話す時と、方言や訛りを共有している地元の人間との間で話す時とが、違うように。松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない』では、「自閉スペクトラム症を抱える子供は他人との生の会話が苦手かつテレビを見ることが多いため、津軽弁よりも標準語を話すことが多い」という仮説が提唱されています。私にとっても、方言はより生に近い親密な言葉で、標準語は余所行きの言葉です。

 

私が生まれ育った近畿地方の都市部においては、その地方の方言とされる関西弁がテレビやラジオで当たり前のように話されています。そのため、大学生くらいまでは関西弁が方言だという意識をそれほど持つことなく育ちました。小学校→中学校→高校→大学と歳を取るにつれて、関わる人の出身地域という観点だけに絞ると、世界が広がっていきました。社会階層という観点では、小学校の頃こそ最も広い世界で暮らしていた時期だと思います。私が育った家は、経済的には下の上~中の下をフワフワと漂う家でしたが、小学校時代に家の向かいに暮らしていた同級生の家族は私の家以上に困窮していることが明確でした。同級生の家族は私が小学生をやっていた間にどこかへ引っ越していき、その後に移り住んだのはラテン系の家族で、毎晩午前2時ごろに人を招くようなパーティーを開催するなど非常に賑やかに暮らしていたため数ヶ月でどこかへ行きました。

大学卒業までの私は、歳を取るごとに社会階層が上がっていく理想を持っていて、その理想は叶えられるものと思い込んでいました。現実は大学卒業後にひょんなことから、テントの設営や什器の運搬などの簡単な作業を行う日雇労働者となり、スチール製飾り棚の汚れをボロ布で拭き取りながら「俺って健康保険の金払ったことないわ」と言って、何本も歯の抜けた口内を見せながら笑う人たちが大勢いる場で暮らすことになります。彼らは週刊少年ジャンプを毎週買って読んでいましたし、煙草は赤マル、必要であれば床に雑魚寝出来る、関西弁の訛りが強い人たちでした。

 

今の仕事の関係で、年に何度か東京に行く機会があります。東京にいる数日の間、関西弁スピーカーではない人たちと能動的に話をする必要があるため、私は標準語に聞こえるように気を付けて言葉を話します。言葉が違うことによる疎外感があるというよりは、関西で暮らしている間には有効な戦術[頼みづらい用件を話す時などに適度な馴れ馴れしさを表現するために意識的に関西弁の語彙[京都弁だと~してはる]を使う。]が取れないために、関西弁スピーカーが頑張って標準語を話している様子を見せる、という最大公約数的な振る舞いを選択していると言えます。

 

方言、私にとっての関西弁は、私が生育していく中で刻み付けられた如何ともしがたいものですが、やりようによっては、方言を抑えていくことは出来ます。これは福音です。

例えば、スコットランドのグラスゴー出身のジェームズ・マカヴォイは、舞台の上では標準的な英語を使いつつ、必要に応じてスコットランド訛りを出すことも出来る俳優[SNLの彼のコントは非常に愉快です。]です。方言を笑うためには、何らかの方法でその方言の外側にいる必要があります。お笑い業界で採用されている関西弁をアレンジした吉本弁を日常的に聞いている関西弁スピーカーこそ、自分達の方言を笑うことが出来る素地を持っていると言えます。そもそも吉本弁は、各地方出身の芸人たちにある程度統一した言葉を使わせるためのシステムと考えられます。つまり現在における廓言葉です。

 

俗に氏より育ちと言いますように、貧乏な家に生まれ育った人間はどうしたって貧乏になるしかないという世界は美しくありません。それと同じように、生まれ育った方言と死ぬまで離れず暮らしていくという世界観も決して手放しに褒められるものではありません。名前や性別を容易に変えられる世界が美しいように、軽やかに言葉を使い分けられる世界の方が美しいのです。

私は、方言を動かし難いもの、当然のものとして考える風潮が嫌いです。そのきっかけは、京都地下鉄の東山駅を「ひがしやま(↗-↘--)」と凹凸をつけて発音した私に対して、母親が「ひがしやま(→--↘-)」と関西弁の尻下がりの発音で、心底馬鹿にした調子で言い直したことです。一生忘れません。