· 

【南森町雑記】映画『怪物』を見ました

是枝裕和『怪物』を見ました。

 

是枝裕和監督作品は『そして父になる』を見たことがあって、ものすごく面白いけど、ものすごく(不自然なくらいに)分かりやすい映画だとぼんやり思ったことがあります。『怪物』を見た後だと、登場人物を幅のある人間というよりは、映画の中で役割を持ったオブジェクトとして配置している点が私にとっての見やすさに繋がったのかなと思います。『怪物』も、ものすごく分かりやすい映画でした。

私は現実を基にした御伽噺が好きなので、最後のシーンを見ながらスンと気持ちが冷めていったのですが、二人の子供あるいは世界が生まれ変わった後に二人の子供と諏訪の景色しか存在しないのを見て「この二人は諏訪しか世界を知らないのかもしれない」と悲しくなりました。あんなに明るい景色を見せながら、こちらの気持ちを暗くさせてくる演出に感心しつつ、心底嫌だなと思いました。

 

『怪物』の主に語られる対象であり謎の中心にいるのは二人の子供、麦野湊(以下、湊)と星川依里(以下、依里)です。湊は三部作である本作の第三部の語り手であるため、湊が何を思って何をしたかを類推することはまだ可能に思えますが、三部通して語られるだけの対象であった依里についてはそれらしい類推すら難しく思えます。

依里がトイレに閉じ込められた時に湊に対して「助けて」と言ったり、「病気が治った」と父親から強制されて嘘を言わされたすぐ後に(そんなことをしたら父親に折檻されるのは分かりきっているのに)湊にさっきの言葉は嘘と訂正したりと、依里が湊に好意を持っていたことは想像できます。しかしその前に、湊の母親が語り手の一部と湊のクラスの先生が語り手の二部を見て、一部と二部の食い違いを知ったあとだけに、素直に依里は湊が好きだったと考えることは出来ません。

緊張に耐えられなくなった保利(湊のクラスの先生)の表情を麦野早織(以下、早織。湊の母親)が嘲笑と受け取ったように、あるいは保利が自分が受け持つクラスのいじめに気づかなかったせいで湊のことを誤解したように、湊も依里の何かを曲げて受け止めていたのかもしれません。

依里へのいじめに気づけない、変なところで気安く接してくる保利を、湊が「優しい(けど頼るほどの存在ではない)」と評したように、依里にとっても湊は「優しい」存在だったのかもしれません。気休め程度の優しさをくれる存在が複数人いないであろう依里にとって、湊だけがそういった貴重な存在だったと思うと、登場人物の配置に、子供だけが閉じ込められる牢獄みたいな世界への皮肉が込められている気さえしてきます。

 

二人の子供たちの演出で特に気になったのは、彼らの服装の違いです。湊はよく分からない英語が書かれたTシャツやざっくりした感じの羽織るシャツを着ています。敢えて言うなら、しまむらで買った感じの服です。

一方、依里の服はいかにも有名デザイナーが手がけた感じのつくりで生地も上等に見えます。二人の服の最大の違いは、湊が各場面でそれぞれ違う服を着ていたのに対して、依里は同じ服を着ていたことが何度かあることです。それに、靴が片方なくなってすぐに母親から詰問された湊と、家に買った覚えのない靴が片方だけ置いてあるのに父親が気づかない依里の対比が重なります。

保利が依里の家を訪ねた場面で、家の見えるところは綺麗にされているのに、見えない裏手にはゴミを大量に放置していることが分かるので、そこで依里の父親の微妙に取り繕うあり方が露呈して、依里の服装の小綺麗なのに違和感があった理由がハッキリします。

 

第一部の、湊に対する早織の言動(特に、湊が車から飛び出す直前の「普通に結婚して〜」。あの場面は、湊の言葉がうまく聞こえなくて早織が話し続けてしまったせいで、早織の言葉に絶望した湊が飛び出してしまった風になっていますが、早織は湊の言葉がうまく聞こえていてもきっと同じことを話して湊は飛び出したに違いないと思わせる演出が凶暴です。)は、観客には知ることのできない生活の中でも湊に対して「普通の幸せな家庭を持つこと」(女の人と結婚して子供を作ることも含まれる)を要求してきたんだろうなと窺わせるのに十分なものでした。早織の押し付ける普通にキリキリした人とそうじゃない人では、第三部の見方は変わる気がします。

依里の体に痣があるのを見つけた早織が(その時はいじめ問題で頭がいっぱいだったとしても)アル中で噂になっているはずの依里の父親が依里を虐待している可能性に思いが及ばなかったところにも、早織の持つ普通の狭さが分かります。

 

保利の「間違ってないよ。なんにもおかしくないんだよ。(うろ覚えです)」がずっと頭の中でグルグルしています。

皮肉にも早織にとって敵であった(早織にとっての怪物は校長)保利のおかげで、早織はあの廃棄された電車まで辿り着くことができたのかと思うと、カチッとハマる演出が持つエグさに胃がもたれそうになります。

 

最後に、高畑充希が本当に可愛かったです。何もかも完璧な存在って『怪物』の高畑充希を指すんだなって理解しました。